江戸時代にタイムスリップ・佐渡金銀山絵巻を体感せよ!

佐渡金銀山絵巻を体感せよ!

ホリコごっこ(ホリコ体験)

絵巻に登場する鉱石の運び手・穿子〈ホリコ〉になりきり、佐渡金銀山絵巻の世界を楽しむ体験プログラムです。
ランチにプログラム限定の特製「佐渡金銀山鳥越間歩 頭大工・ 源四郎丼」〈 通称:源さん丼 Gen-SanDon〉をお召し上がりいただけます。

体験では、佐渡金銀山絵巻と当時の搬出システムを学びます。そしてワラジを履き、頭大工の源さんが用意した金鉱石と同じ重さの重りの入ったカマスを背負い、坑道を模したアスレチックに挑戦。
すべてをクリアするとホリコのコスプレ撮影や「荷揚穿子にあげほりこ認定証」と「佐渡新穂金銀山産出の鉱石」がもらえます。

ホリコとは

【穿子】(ホリコ)
坑内を行き来(往来)して作業する係の総称で、大人の大穿子(おお-ほりこ)と子供の小穿子(しょう-ほりこ)の区別がありました。

大穿子

大穿子

小穿子

小穿子

​鉱石の搬出は小穿子、大穿子は捨石作業に従事していました。鉱石の盗難防止など子供の方が管理しやすいことが起因と思われます。
絵巻内では「穿子」「鑚通穿子」(たがねかよいほりこ)の文字が確認できます。

その後、効率化をはかるため職務が細分化(年代により異なる)され、5つに分けられ、五段穿子(荷揚穿子・鑚通穿子・手伝穿子・丁場穿子・鞴差穿子)と呼ばれるようになりました。

ホリコの持ち物

ホリコの持ち物
Ⓐ 叺〈カマス〉
わらむしろの袋で、江戸時代の鉱山で使用されるカマスは3種類ありました。
(ホリコ用 横型サイズ2種類、荷分け用 縦型サイズ1種類)

ホリコ用カマス

ホリコ用横型カマス

荷分け用カマス

荷分け用縦型カマス

荷分け

荷分け

ホリコ カマスの図
(日本鉱業史料集:佐渡金銀山記 伊勢員弁郡鉱山記より)

穿子叺の図

 

 

 

 

 

 

ホリコが持参するカマスのサイズは決まりがありました。大人用の大穿子カマスと子供用の小穿子カマスで、坑内に入る前に四ツ留番所(よつどめばんしょ)内で持ち物チェックがあり、カマスは「加勢板」で検査されました。

ホリコの持ち物検査

加勢板(かせいた)

※『佐州金銀山諸道具其外名附留帳』に“ 此板ニ違ひ候かます者切捨 ”と記されています。
また、縦型の荷分け用カマスは鉱石が約5貫(約19kg)入るように作られていて、史跡佐渡奉行所跡の勝場(せりば)内に「い」や「ろ」が記された荷分け用カマスが復元されています。

Ⓑ紙燭立て〈シショクタテ〉
たいまつの一種で、佐渡市の木 アテビを薄く削り油をしみ込ませ縄状にし、棒の先端に巻き付けた照明器具。絵巻中に「紙燭屋」という紙燭を作る仕事が描かれています。

紙燭立て(シショクタテ)シショクタテ

Ⓒ紙燭ドンス
佐渡市の木 アテビを薄く削り油をしみ込ませたもの。紙燭。
※ このほかに運搬時にカマスを固定するロープ「荷縄」があります。

体験の詳細

★日本語が理解できない訪日外国人旅行者や耳の不自由な方、または体験プログラムの理解度向上用にインターネット接続が可能なスマートフォンやタブレット端末の持込を希望しております。
当日の受付時に体験プログラム用の多言語処理が施されたwebサイトのQRコードをお知らせいたします。Wi-Fi接続でURLを読み取っていただき、体験プログラムにご参加していただきます。
イメージは映画等の字幕です。体験内容とモバイルコンテンツを融合させ
プログラムを進めます。

  • 対象年齢:10歳~
  • 所要時間:約2時間(体験60分+お食事60分)
  • 開始時間:(1日2回開催)
    ➀ 11:00~(体験→ランチ)
    ➁ 13:00~(ランチ→体験)
  • 事前予約:3日前16時までに要予約
    ご予約はメール ホリコごっこ ご予約フォーム
    もしくは電話 0259-76-2511 まで
  • 最小催行人員:2名
  • 定 員:20名
  • 料 金:さどまる円
    ・大人:3,100円(中学生以上・ワラジ付き)
    ・子供:2,000円(小学生・ワラジなし)
    *プラン限定のお食事「源さん丼」を召し上がりいただけます。
    *荷揚穿子認定書と佐渡新穂金銀山産出の鉱石プレゼント付き。
    *安全管理上、お子様のワラジ着用はご遠慮いただいております。
  • 料金に含まれるもの:体験料 / 特製ランチ / ワラジ(大人のみ)/ 穿子認定書 / 開運鉱石
  • 集合場所:めおと岩観光(新潟県佐渡市高瀬1267-5)
  • その他
    ・大人のみワラジを履きます。使用後のワラジはお土産になります。
    ・当時の坑道を再現し、狭い等、あえて歩きにくいように作られています。動きやすい服装(ズボンなど)でお越しください。
    ・団体等の受け入れにより体験不可日があります。
    体験受入カレンダーでご確認ください。

 

特製 体験者限定ランチ

佐渡金銀山さどきんぎんざん鳥越間歩とりごえまぶ頭大工かしらだいく源四郎丼げんしろうどんぶり
〈 通称:げんさんどん Gen-SanDon〉

〈源さん丼〉おしながき

丼左部 佐渡天然ブリカツ丼 父割戸ててのわれと仕様バージョン
丼左部佐渡小判 見立てタクワン添え

※ ブリカツ二つは割戸われと をイメージ、タクワンは小判型に整形してあります。

丼右部 イカ刺し丼 鳥越間歩まぶ 助吉敷すけきちしき 立合たてあい仕様バージョン

白い石英質イカ刺し』の中に、黒い鉱脈刻み海苔』があり、自然金金箔』がみえる良質な立合(鉱脈)をイメージしました。

小 鉢 ナガモ和風だし仕立て

※ 小鉢のナガモはイカ刺し丼にかけ、『イカナガモ丼』にして味変をお楽しみください(源さん仕様)

味噌汁 佐渡わかめ
            Ⓗ醤油  Ⓘワサビ

以上

JK HANA
JK HANA

このプラン限定で ホリコのコスプレ撮影もできまぁ~す

JK HANA
JK HANA

着物は古着で3枚 荷縄付きムシロ編みカマスと百均ちょんまげカツラは1組のみです
ご持参いただくスマホ等で撮影ボタンを押すお手伝いをします

体験特典

体験終了時に「荷揚穿子認定証」と「佐渡新穂金銀山産出の鉱石」をお渡しします。

荷揚穿子認定証
佐渡新穂金銀山産出の鉱石

 

ホリコごっこ受入れカレンダー

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ご予約と体験の流れ

ホリコごっこ 体験の流れ
  • 3日前
    ご予約
    ご予約締切は体験日の3日前17時です。

    ご予約はメールがおすすめです。
    ホリコごっこ ご予約フォーム

  • 当日STEP 1
    服装について
    当時の坑道を再現し、歩きにくいところや、狭いところを歩いていただきます。
    あえて歩きにくいように作られています。ズボンなど、動きやすい服装でお越しください。
  • 当日STEP 2
    お持ち物
    あると便利なスマートフォン。
    耳の不自由な方や日本語が苦手な訪日外国人旅行者は必須アイテムです。

    体験内容を文字で確認できます。ご案内する弊社スタッフもカンペとして利用します。

  • 当日STEP 3
    受付
    受付はご予約時間の60分前から可能です。
    時間に余裕を持ち、ご来店ください。ご来店時に売店スタッフに体験の旨をお伝え下さい。
  • 当日STEP 4
    お会計
    受付時にお会計をお願いしております。各種クーポンもご利用可能です。
    (詳しくはスタッフにお問い合わせください)
    お支払いにはQRコード決済(PayPayのみ)や各種クレジットカードもご利用いただけます。
    (VISA、MasterCard、JCB、AMEX、Diners、DISCOVER、銀嶺)
  • 当日STEP 5
    ご説明
    体験の内容と工程が文字で理解・確認できるよう多言語処理を施した体験専用webサイトのQRコードとWiFi接続用のパスワードをお知らせします。
    お手持ちのスマートフォン等で体験専用ページをダウンロードしていただきます。
    (ダウンロードは必須ではありません)
  • 当日STEP 6
    体験会場へ
    参加者様がお揃いになり次第、会場までご案内します。
    12時スタートの参加者様は体験限定「源さん丼」のランチが先となります。
  • 当日STEP 7
    ご案内
    佐渡金銀山絵巻と当時の搬出システムを学びます。
  • 当日STEP 8
    アスレチックに挑戦
    ワラジを履き、頭大工の源さんが用意した金鉱石と同じ重さの重りの入ったカマスを背負い、坑道を模したアスレチックに挑戦します。
  • 当日STEP 9
    コスプレ撮影
    着物、当時を忠実に再現したムシロ製のカマス、ちょんまげカツラを着用し、ご持参いただくスマホ等で撮影ボタンを押すお手伝いをします。
  • 当日STEP 10
    認定証の授与
    すべてのミッションが完了したらホリコ認定証と新穂金銀山の鉱石がもらえます。
  • 当日STEP 11
    限定「源さん丼」のランチ
    正式名称は「佐渡金銀山鳥越間歩 頭大工・ 源四郎丼」です。
    体験プログラム限定メニューで「ホリコごっこ」参加者しか召し上がることができません。

鳥越間歩(とりごえ-まぶ)

佐渡金山遺跡(相川金銀山跡)分布調査報告書より抜粋 加工 ※ 画像をクリックするとPDFファイルで開きます

間歩(まぶ)とは、石見銀山から来た言葉で、鉱山の坑道を指す言葉です。発見者や稼ぎ主の名を付けて呼ぶ風習があったといわれています。

体験プログラムのベース(背景)は1721年(享保6)に関東弥右衛門が稼いだ「鳥越間歩」の「助吉敷」をイメージしています。
鳥越間歩は位置図でみますと相川より大佐渡スカイラインを上った道路の西側方向にあり、道遊の割戸が眼下に見える位置関係です。

「金銀山稼方取扱一件」に佐渡奉行所の御大門から各間歩の距離数と高低差が記されており、鳥越間歩は距離 31丁27間4尺(3.432㎞)、高低差 72丈2間余り(約222m)とあります。
クーグルマップだと奉行所から大佐渡スカイライン上の距離が3.4㎞、高低差223m。
ガーミンですと佐渡奉行所~鳥越間歩 距離3.34㎞、高低差236mです。

鳥越間歩 図
鳥越間歩図佐渡金山遺跡(相川金銀山跡)分布調査報告書より抜粋 加工

四ツ留番所(よつどめ-ばんしょ
四ツ留番所四ツ留番所とは坑内の入口に置かれた鉱石の抜売りを監視する奉行所管理の施設です。

立場小屋(たてば-こや
立場小屋立場小屋は民間の採掘業者の(金児かなこ)が建てた施設です。選鉱作業と採鉱・出鉱を管理していました。
ホリコは坑内の採掘現場から頭大工の指示のもと鉱石をカマスに入れ、この立場小屋まで鉱石運びを繰り返します。

Ⓒ 鍛冶小屋(かじ-こや)
鍛冶小屋鍛冶小屋は採掘で使うタガネの先が摩耗し鈍(なま)るので刃先を付け直す奉行所直属の施設です。最盛期には奉行所お抱えの鍛冶屋29名が交代の24時間体制で作業していました。タガネの回収や交換は「 鑚通穿子(たがねがよいほりこ)」が専属で担当し、大工一人につき、一日にタガネ10本位が支給されていました。

洗場(あらい-ば
洗い場洗い場とは民間の製錬業者が鉱石の競りを行う場所で、鉱石を鑑定・査定することを「洗いを見る」と言います。

釜の口(かまのくち
釜の口釜の口とは坑道の入口のことです。

ホリコ トリセツ

ホリコの作業手順

① 入坑チェック

ホリコは四ツ留番所前の入口で、雇用主の民間人材派遣業者「穿子請」(ほりこうけ)の入坑受付があります。子供のほうが管理しやすいのか、鉱石を運び出すのは、小ホリコの担当でした。
管理上、小ホリコの入坑時間は、明け六ツ・朝の8時と決められていました。
ホリコの持ち物は5つです。

  1. 氏名がかかれた木札、今で言うIDカードですが、これをホリコ請に渡します。
  2. 鉱石を入れる袋のカマス。
  3. 荷縄。
  4. 紙燭立。
  5. 紙燭ドンスです。これは、佐渡市の木の、アテビを薄く削り、油をしみ込ませたものです。これを紙燭立てに巻いて、あかりの芯にしていました。
    (持ち物は忘れずに)

② 持ち物検査
四ツ留番所内で役人の「ホリコ遣い」により、持ち物検査があります。特に鉱石を入れるカマスは「加勢板(かせいた)」でチェックしていました。検査に合格するとホリコ遣いに連れられ坑内に入ります。
小ホリコ約7名を、役人のホリコツカイ1名が担当する割合で管理していました。
(不正をするとヤバイです)

③ 助吉敷 矩定場(採掘場所)
鳥越間歩の助吉敷(スケキチ-シキ)は、1721年(享保6)に関東弥右衛門が稼いだ敷です。

矩定場(げじょうば)とは採掘現場のベースキャンプ的な場所です。大工が穿り出した鉱石を大工名ごとに頭大工が仕分ける場所で、大工の休憩場所でもあります。
桶に鉱石を入れているのが頭大工の源四郎さんです。頭大工の指示のもと鉱石をカマスに入れ ⑥の立場小屋まで運びます。
(頭大工が渡す大工名が記された紙も一緒にカマスに入れます)

④ 廊下
間歩内の直線を廊下と言います。ここでもホリコツカイのチェックがあります。
(アピールが大事です)

⑤ 出口
坑道出口の「横引場(ヨコヒキバ)」で氏名とカマスの重量チェックがあります。
(賃金と関連しますの丁寧に)

⑥ 立場小屋
ゴールです。ここで鉱石を下ろし、再び③まで戻り鉱石の搬出を繰り返します。

大工について

【大工】(だいく)
大工とは鉱山で働く職人のことを指します。
鉱石を掘る職人を金穿大工(かなほり-だいく)、坑内の崩落防止や足場作りの職人を山留大工(やまどめ-だいく)と言いました。このほか絵巻中には、樋大工(とい-だいく)・吹大工(ふき-だいく)・灰吹大工(はいふき-だいく)、分大工(ぶん-だいく)、延金大工(のべがね-だいく)の文字がみられます。
この大工という呼称は、急速に発展する鉱山の職人確保で重要な意味合いを持ち、鉱山関係以外の職人とは区別され、木造建築の職人は番匠(ばんじょう)と言われていました。(のちの解釈で、大工というと、金穿大工を指す言葉になりました)

ホリコはじめて物語


※ 日本語字幕があります。

 

【プロローグ】(story)

1722年(享保7年)。今からちょうど300年前の相川に暮らす、ある漁師の男の物語。ある日、男が町の居酒屋で知り合ったのが金銀山の鳥越間歩・助吉敷を稼ぐ頭大工の源四郎(通称 源さん)だった。意気投合した漁師の男に源さんが金銀山での小遣い稼ぎを勧めてくれた。なんでも今回すごい鉱脈に当たったらしく、源さんが選別する鉱石を信頼できる人に運んでほしいそうだ。漁師の男は、源さんに背中を押され鉱石の運び手に挑戦してみたのだが…。

【登場人物】(cast)

漁師の男
漁師の男

【漁師の男】

住い:下戸村
いつも気持ちとは裏腹な言葉を発してしまう。今回もひょんなことから海の男が、まったく経験のない山の仕事をすることに‥。
この男に成り代わり、鉱石の運び手に挑戦してください。

源さん
源さん

【頭大工の源四郎】(通称:源さん)

住い:小右衛門町
鳥越間歩の助吉敷で金穿大工を束ねている。親方(雇用主)は、金児(採掘業者)の関東弥右衛門さん。今回、弥右衛門さんの指示で掘った助吉敷で、すごい立合い(鉱脈)にぶつかり、留吉さんと一緒に鉱石を運んでくれる信頼できる人を探しています。

留吉さん
留吉さん

【大穿子の留吉さん】

住い:宗徳町

穿子とは坑内を行き来して作業する係の総称で、大人の穿子を大穿子、子供を小穿子といいました。
留吉さんの親方(雇用主)は、穿子請(人材派遣業者)「孫左」の孫左親方。頭大工の源さんとは幼馴染で、源さん専属の穿子として鳥越間歩の助吉敷で働いています。

お花ちゃん
おハナちゃん

【石撰女のおハナちゃん】
留吉さん自慢の一人娘。17歳。美人。

石撰女とは金児が建てた立場小屋で、鏈石(鉱石)の品質分け(選別)をする女性のことで、おもに鉱山労働者の妻女が担当していました。
おハナちゃんは、金児の弥右衛門さんが稼いでいる鳥越間歩の立場小屋で石撰女をしています。

弥右衛門さん
弥右衛門さん

【金児の関東弥右衛門さん】

住い:五郎右衛門町
関東弥右衛門は、はじめは金持ちの山師でしたが、鳥越坑を数年間採掘しても鉱脈を得ず、家財を処分しても坑夫の給料すら支払うことかできずにいました。
或年の大晦日、借金取りを逃れて夜一人で鳥越坑に隠れました。
こんなに努力しても目指す鉱石に当たらぬものかと、思わず手にした槌で坑の石壁を叩きつけました。欠けて落ちた石が黒く鉱石らしい気配に思えましたが、灯でははっきりしないので日の出を待って外に出、熟々見ると黒く見えたのは紛れもない至極の鉱石でした。
これがきっかけで彼は再び多くの大工穿子を呼び集め、盛大な稼ぎをなし、家も富栄え、神社を創建するまでになったと伝えられています。
五郎右衛門町に関東稲荷の社のあるあたりは、この弥右衛門さんの宅趾です。

【佐渡年代記】享保6年(1721年)の条

「三月中鳥越間歩助吉敷盛りを得一十ヲ日鏈代三拾貫匁餘も売立る其節のかなこ関東弥右衛門と云もの自分にて入用銀百貫目餘を以間切を切りし故盛りを得ると云」

孫佐親方
孫左親方

【穿子請の孫左衛門さん】(通称:孫左親方)

住い:三丁目

留吉さんの親方(雇用主)で、三丁目で先代の後を継ぎ、穿子請という人材派遣会社を経営しています。この穿子請は島外からの出稼者に、銀山町で住まいと食を提供し、奉行所の要請で、穿子という人材を派遣していました。この享保年間、元和時代のような勢いはありませんが、それでも30人位の出稼ぎ者をかかえていました。

與三郎さん
與三郎さん

【山買石の與三郎さん】

住い:奈良町

買石とは鉱石を買って製錬する専門業者のことで、佐渡の方言で「けいし」と発音(かい-いし→かいし→けいし)します。

入札権のある業者を山買石、入札権のない業者を御器買石と呼びました。
奈良町の與三郎さんは、坑内(間歩)の鏈石(鉱石)を四ツ留番所で競り(購入)落とす入札権をもった業者で、自前で勝場(粉成場・床屋)があり、作業員(人夫、吹大工など)を30名ほど雇い入れ製錬(吹分け)していました。

慶長・元和の頃に600軒を数えた「買石」と呼ばれた製錬業者は、鏈石(鉱石)を山師や幕府から入札により購入し、幕府に製品(金銀)を納入(販売)していました。
しかし、「金児」との癒着や談合による不当な廉買いや、製品(金銀)の密売などがあり、3回に及ぶ改革がありました。

①1645年(正保2年)
大床屋6軒・吹分床8軒・小床屋54軒、56人を選定し、床屋を申し付けました。
(この時期はまだ、買石宅に床屋があり、製錬をおこなっていました)

②1723年(享保8年)
北沢町・次助町・大床屋町の3ヶ所に「寄床屋」として集約され、奉行所の管理下に置かれました。これにより、買石宅にあった床屋は分離されました。

③1759年(宝暦9年)
相川の市中に散在していた買石宅の「粉成場(勝場)」は佐渡奉行所敷地内に集められ、「寄勝場」となりました。

穿子遣い
穿子遣い

【穿子遣い】

山番衆とも呼ばれた下級役人で、おもに坑内での管理作業に従事していました。

大山祇と道遊の割戸の呼称について

大山祇と道遊の割戸の呼称について

大山祇神社は山の神様です。慶長10年(1605年)に 大久保長安が石見銀山を真似て、相川 山之神町に建てました。建立の意図は、支配者(役人)的に「金銀山の繁栄」です。

しかし、大工や穿子(作業員)その家族たちなど、管理される側の庶民の論理は違いました。
日中でも暗い坑内と浸水や崩落に、おのずと自然(山)に対する畏怖がうまれました。
自然(山)は人知を超えた存在と認識し、畏敬の念を持って山(自然)と接する。
山への畏敬が、大山祇への尊厳と感謝につながり、やがて「やわらぎ」などの神事に昇華していきました。
現場の作業者は、自分が鉱石を穿るのではなく、大山祇にお願いして地山を少しでも柔らかくしてもらい、安全に穿らせてもらう。
自分の力だけで割るのではなく、心やすく割れてもらう。
このような山(自然)に対する想いが根底にあり、代々「われと」という呼称が、受けつがれてきました。
したがいまして、1994年(平成6年)の国史跡指定時も「われと」の名称で指定されていました。

ところが、2016年(平成28年)に世界遺産登録の推薦書を作成する中で「われと」は自然に割れた意味合いが強く、人の手によって割られたものなので学術的に「わりと」が適切との判断となりました。
それを受け、新潟県・佐渡市発行の世界遺産関連のリーフレットや観光パンフレットも「わりと」に変更になったそうです。

 

割間歩と割戸

割間歩は「間歩(坑道)位置図」でみると、奉行所に一番近い場所にあります。
釜の口(坑道の出入口)は、近代以降の道路敷設等により破壊・埋没され、現在では確認することはできません。場所的には、間ノ山と呼ばれる左沢右岸(ゴールデン佐渡の第3駐車場の川向いの道路上)です。

割間歩は「わりまぶ」と呼びます。(川上家文書に”わり間歩”の表記があります)
割間歩は当初、山師の豊岡蔵人という人が稼いでいましたが、湧き水の多さで手詰まり状態になり、1618年(元和4年)に山師の味方但馬・初代の重家が、代って稼ぐようになりました。
家重は、スポイトの原理(西洋の技術)で「寸法樋すぽんどい」という物を作り、水を汲み上げ、10日間で数万荷、1620年(元和6年)には10日間で10,200荷の鉱石をわり間歩より出したと伝えられています。(佐渡年代記)

割戸について、2014年(平成26年)佐渡市 世界遺産推進課が発行した
『佐渡金銀山 相川金銀山跡分布調査報告書』に

相川郷土博物館所蔵の文書「乙種文書」に、辰三月名中十日分として「もちや父宗兵衛門間歩出鏈之事」の中で「われと集鏈五十四荷」を出したことが記述されている。集鏈とあることから採掘ではなく、割戸周辺に散乱していたズリの中で品位の高いものを採集した可能性があるが、割戸に関係する数少ない採鉱の記録である。
~ 中略 ~
青柳割戸及び父割戸、作内割戸の3ヵ所が分布調査によって確認されている。現存する道遊の割戸・父の割戸 の様相から推測すると、鉱脈部分を掘りとったことによって谷状の地形(割れ目)が残されていることに由来していると考えられる。

とあり、ひらがなで「われと」と表記されています。
また、佐渡市の報告書でも「割戸われと」は「地形の割れ目に由来」とあります。

元来「割戸」は「われと」と呼ぶべき言葉です。
この地で暮らす私たちの高祖父母や曽祖父母、祖父母は、代々「われと」と相続してきました。
このことは、先人たちの偉業と苦労に敬意を表す証でもあり、必然と「われと」の言葉が受け継がれてきたのだと思います。

したがいまして、「割」を「わり」と表現してよいのは、味方但馬だけなのかもしれません。

 

間切

【間切】(けんぎり)
鉱脈の様子を探るための試掘りのことで、間数(間は長さの単位で1間は約1.8m)を定めて請負いさせているところから出た名。
ラッパーHO.RI.KO
ラッパーHO.RI.KO

 

間切橋

「間切」は「けんぎり」って習ったのに

県道31号相川佐和田線の道遊トンネルの手前の間切川にかかる橋が「まきりばし」になってるぜ!?

2022年春、佐渡金銀山は世界文化遺産登録に向け、スタートラインに立つことができました。

文化遺産とは、先人から預かったもの(想い)を、何もたさず 何もひかず、次の世代に引き継ぐことです。
私たちには、ちゃんと相続しなければならない義務と責任があるのです。

 

佐渡の世界遺産登録みんなで応援しんかっちゃ