石仏や石塔、石臼などの生産地は椿尾、小泊です。
椿尾や小泊には、ゴマ塩がまかれたような岩石、通称「佐渡みかげ」と呼ばれる石材が産出します。
佐渡志に「小泊椿尾両村ノ石工ハ国用の餘リ近国ニ及ビ殊ニ石佛ヲ造ルコトニ巧妙ニシテ、北陸七州ト羽州ノ海濱村里迄モ彼像至ラザル所ナシ」と見え
四民風俗にも「小泊村椿尾村は耕作の外、石臼石佛の類を多く切り出し渡世の便に仕候」とあり、其の起源はすこぶる古く種々の伝説もある。
此の地の石質は角閃安山岩で殊に石臼は小泊字大澤及びフスベという處より出づる。本間周敬(1948)『西三川村誌』西三川村役場.
小泊の岡崎家の伝説では、平家没落後、現在の愛知県岡崎市に逃れていた宗清の子・権三郎が佐渡に渡り、小泊に定着し石工をはじめたとされています。
権三郎がもたらした石工の技術が隣の椿尾に伝えられ、小泊は小泊石の石臼、椿尾は椿尾石の石仏の産地として知られるようになり、椿尾では弥助、五兵衛、重太郎など名工が輩出されました。
「梨の木地蔵」「賽の河原」「岩屋山石窟」などの地蔵信仰と相まり石工の繁栄を築き、石仏や石臼は北陸・東北などの島外にも北前船で出荷されました。
椿尾の岩塚山には6か所の石丁場があり、その一つは現在も採掘されていて、石工職人の技術はかろうじて継承されています。
また、「椿尾石(佐渡みかげ・角閃安山岩?)」・「小泊石(石英安山岩?)」の呼称も、どちらも同じ?ということで「真珠岩質石英安山岩」となり、現在では「真珠岩質デイサイト」という名前になっています。
しかし、椿尾石にはゴマ(角閃石)があり、軟質で細工がしやすく、小泊石にはゴマがなく比較的硬いので区別してほしいと思います。