おけさ干し柿

 

おけさ干し柿

番人気の 干し柿 です。

きやすう
こびりや  
かたけのあとに
んねもやってみいさ
※ 佐渡弁です。
(気軽に)
(おやつや)
(食事の後に)
(あなたもお召し上がりください)

おけさ柿

干し柿作り

干し柿作り

干し柿作り

干し柿作り

干し柿作り

おけさ干し柿

おけさ干し柿

食べると渋い柿の実を乾燥させたもので
干すと すごく甘くなります。

夫婦岩の潮風が干し柿の甘さを一段と引き立てる、汐風干しです。
内容量は5個から7個くらいです。
(画像は6個入りですが、手作りのため お任せ扱いになります)
もし、食べずに保存する場合は冷蔵庫などの10℃以下の場所で。
賞味期限は冷蔵庫で1か月。冷凍庫で6カ月です。

税込み価格 1,100円

祝『佐渡島の金山』みんなで応援しんかっちゃ!
おけさ柿など、柿の木は亜熱帯性の植物であるため寒さに弱い種で、北海道内では自生しないといわれています。
北海道といえば江戸時代に北前船で佐渡と交易がありましたが、”砂金“で北海道と佐渡に交流があったのをご存知でしょうか?
1859年(安政6)に蝦夷地(北海道)渡島半島の後志利別川上流で砂金が発見され、箱館奉行は砂金山開発にともない、佐渡奉行に砂金山の採掘技術の伝授を依頼します。
これにより、西三川砂金山の技術に熟達した5名が1860年(安政7)から2年間、蝦夷地へ技術指導に赴きました。彼らによって蝦夷地に導入された「大流し」に代表される西三川砂金山の砂金採取技術は、明治以降も「切り流し」と称して継続して行われました。
「大流し」とは、西三川砂金山の砂金採取技法です。
ダム(堤)と長距離水路を作り、水路上の砂金を含有する山の斜面を掘り崩し、意図的に人工洪水を発生させ、大量の水で土砂を洗い流して砂金を採る手法です。
笹川集落の奧にある虎丸山には、砂金を採るために崩した山肌が確認できます。
『佐渡年代略記』や『佐渡風土記』(コマ番号108/328)などの史料に、
文禄2年(1593年)3月15日に「西三川金山始」とあります。
また、『佐渡志』によりますと
(コマ番号63/143)
「文禄2年夏霖雨、同3年又霖雨 田圃を損ふ事多し是を文二文三の洪水と言伝えたり」
(コマ番号65)では、文禄2年6月の洪水で度津神社の社殿が流されたとあります。
文禄2年(1593年)に佐渡は各所で大規模な洪水(災害)があったみたいです。

下黒山倉内勘十郎所有の竹やぶも流されて、西三川の茶の木及び安楽寺の所有地に漂着したと言われている。(真野村志)

真野町史編纂委員会(1981)『真野町史 年表』真野町教育委員会.

文禄二年からのゴールドラッシュは、記録的な大洪水によって下黒山の倉内勘十郎家の竹藪が千切れて川を下り、西三川砂金山虎丸山下の曲がりで本流の川を塞き止め、行き場を失った奔流が地を削って支流十五番川の滝下に流れ込み、洪水の治まった後に思いがけない砂金の湧き出しを見たことにはじまった。

小菅 徹也(2000)『金銀山史の研究』高志書院.

洪水が終わった後、至る所に光る砂金が顔を出していたそうです。

つまり、「大流し」の技法は、文禄2年(1593年)の洪水がきっかけで発展しました。

2022年春、「佐渡島の金山」の世界遺産登録の国内推薦が決定されました。
コロナ禍が落ち着いた後、至る所に光るものが顔を出してくるはずです。

禍を転じて福と為す。
干し柿を食べながら そのトキを待ちませう。